人生綺麗じゃない方が楽しい

はじめに

今日は真面目な話をしたいと思う。

おふざけは限りなくゼロに近い……と思う。途中で自分のクサさに我慢できなくなったらごめん。

社長です。今日からまともな話ウィークにしたいと思います。頑張ってまともなブログを書きたい(叶わぬ夢)

(夢は空に浮かぶ美しい星々に似ている。手を伸ばしても決して届かないのに、あんなにも美しく輝いている。きっと手を伸ばし続けて、高く高く飛んで、星に手が届く人もいるんだろう。ボクは代わりに金平糖を買って「これは星……!これは星……!」って思いこむようにした。)

概要

今日は小学校のころの話を元に、「人生綺麗じゃない方が楽しくね?」って話をします。

えっと、突然ですけど、皆様「さわやか3組」というTV番組を御存知でしょうか?

1987~2009年までNHK教育でやっていた番組で、よく道徳の授業に使われてたやつです。

これのOPの曲がすげー頭に残るんだけど、まぁそれは置いといて。

で、見たことある人は分かると思うんだけど、内容としては、悩みを抱えた子を同級生の助けや協力で解決していくみたいな、「こんなことあるわけねぇだろ」みたいなものでした。

愛とか夢とか希望もわかるけど、目の前の現実はそんなに甘くないって

確かにそこに存在していた三組

で、本題なんだけど、私が小学生の頃のクラスが、なんかもうホント「リアルさわやか3組」みたいな感じだったんですね。

脳に障がいを持つ子、海外から来た片言の留学生、みんなそれぞれ悩みを持ってたり。

そして、本当に、一切の差異なく、クラス全員がみんな仲良かったんです。

「理想のクラスを作れ」と言われたとしても、ここまで完璧なクラスを作れることないだろ?みたいなクラスでした。

お互いの長所も欠点も認めて、クラスメイトも先生も、何もかもがかみ合ったクラスでした。

悪口とか意地悪とかしようものなら、「そういうの良くないよ!」みたいなのが平然と行われ、それに対して何のデメリット(「なんだアイツいい子ぶってムカつくな」みたいな)もなくて、注意された方も「そうだよな、ごめんな」って素直に謝れるような環境。

まぁ、この状況を「すごい」とみるか「気持ち悪い」と見るかは人それぞれだと思うんですが、そんな環境で6年間を過ごしました。

そんなんだから、卒業式の日なんて、先生を囲ってみんなでワンワン泣いていました。

さて、ここからが本題です。

そんな人間が、全員バラバラになって、それぞれの中学校に進学したらどうなるでしょうか?

(あの頃は分からなかった。自分のクラスが世界の全てだったから。

現実は夢を容易く打ち砕く

いわば、無菌状態で育てられた植物を、突然野生に放り込むようなものです。

はい。

全員、ただ一人の例外もなく、精神を病むか不良になりました。

ここまでのオチがついて、私の小学校時代の思い出は完成を迎えると思っています。

全員が、実際の現実とのギャップに苦しんだんです。あの、夢のような6年間は、もはや私達を苦しめる悪夢にしかなりませんでした。

ですが、だからこそ、私はそれを評価したいし、素晴らしいと思っています

現実というものは、「夢と希望にあふれ」「努力は必ず報われ」「正義は必ず勝ち」「みんな仲良く手と手を取り合って」――そんなもの、ありえません。

夢に破れ、希望は叶わず、努力は才能に破れ、凡人は上手く立ち回る者に負け、本当に信じられる人は極僅かしかいない――だからこそ、それを受け止め、消化し、生きていく姿は美しく、貴重で、愛おしく、素晴らしいものです。

何となく、シナリオ作りとか創作とか、自分自身に対してもそう思っているところが結構あって、どんなクソみたいな状態でも、どんなに能力の低さに絶望しても、必死で前を向いて進み続けなくちゃいけないんだよなって心底思ってます。

(悪路でも先が見えなくても独りぼっちでも、それでも歩いていくしかない。けどそれが人間の素晴らしさなんじゃないかなって)

綺麗な世界に中指を立てろ

ヌルくて心地よい環境で足を止めて、停滞してしまうことこそが人間としての存在の”死”です。

たまに休むことは全然構いません。ただ、ずっとそこで停滞していることって、技術的にも精神的にも人間的にも、なーんも面白くないと思いません?

小学校の頃の自分は、確かに”完成”していました。ですけど、私個人としては、前よりもずっと何もなくて、苦しんで、辛いことばかりの人生だけど、今の自分の方が絶対面白いし、人間として勝ってるんじゃないかなって思ってます。

いや、傷つくことは嫌なんだけど、色んな事を経験させてもらって、ボロッボロになりながらでも前に進んでる方がさ、自分だけは自分のことを「これでいい」って肯定できるし、そっちの方が人としての面白さに繋がるんじゃない?って話でした。

(ボロボロの人生を笑い飛ばせ。もしくは他人に笑い飛ばさせろ。クソみたいな人生を悲劇にするか喜劇にするかは、多分自分の心持次第な気がする。)

長い余談

私がハッピーエンドが好きではなく、メリーバッドエンドが好きなのは、多分この経験の影響が少なからずあると思っています。

めでたしめでたしで終わってんじゃねーぞ、と。

人生はそのあとも続くんじゃ。

明けない夜はないように、沈まない太陽もないです。

太陽が沈んだ後、真っ暗で寂しい夜が訪れたとしても、それでもヘラヘラ笑いながら自分の不幸もネタにして笑い飛ばしていこうぜ。そっちの方がカッコいいじゃん。やべーときほど笑うべきだし、そういうときほど我々の真価が試されてるときなんだと思う。

暴言だけど、どうせ我々、人生の敗者で大した存在価値もない人間なんだからさ。だったらせめて自分自身の中で「カッコいい」生き方を選択した方がよくない?他者からどう思われてもしょうがないけど、自分で行動が決められるところはさ、せめてカッコいい方を選択して、自分に嘘はつかないようにしたいよね。

(むしろ夜道を楽しめ。)

おわりに

ってことで、超久しぶりに真面目な話でした。

途中で茶化さずによく頑張った俺……!偉いぞ……!

まぁ根がまともだからね!まともさで言うならこりかんでもトップクラスだと自負してます!

お前らとは”まともさ”のレベルが違うんだよばーかばーか!

やっぱ俺……俺だけだ……まともな人間は……。他は異常者の集まりだから……こわ……近寄らんとこ……。

明日も休みなので頑張ってまともな記事を更新したいと思います。

それではまた。

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