「楽しむことをあきらめない」についての考察

はじめに

こりかんのHPを見ていただいて分かるように、弊社の社是は「楽しむことをあきらめない!」です。

誰が決めたか、もう既に忘却の彼方なのですが、仕事しながらふと考えてたんです。

そういや「配信とかしてみたいなぁ」とは思ったけど、実際何を配信したいんだ?何を伝えたいんだ?と。

それを考えるにあたって、指針となったのが、「楽しむことをあきらめない」ということだったりします。

こんばんは。ちょっと真面目な内容の記事も読まれてるんだなぁと分かったので、ちょっとだけ真面目な話を!させてください!

社長です。お酒入ってますが、多少入ってた方が返って真面目な話ってできない?変な照れとかなくなって。

(ちなみに飲んでるのは日本酒。ちょっと酔ってるくらいが口の滑りが良くならない?俺だけ?)

実際何がしたいのか?

じゃあ実際俺は配信で何がしたいの?ってことを冷静に考えてみました。(※就業中にです)

その結果、一番の動機になってるのが「自分の考えや思考を発信したり残したりしたい!」ってのだったんです。

自分でもちょっと意外だったんですけど、こう、人間っていつかは死ぬじゃないですか。

じゃあ生きてる意味ってなんだ?って考えたときに、まぁ血を残すっていう生物学的な意味はあるんですけど、それ以外に、「思想・思考を残す」ってのがあるんじゃないかと思ってるんですね。

なんか、例えば誰かが何かの選択をするときに、ちょっとでも自分の意志がその選択に関与できたら、それは生きた意味になるんじゃないかなーって。

……いや、話を大きくしすぎた。戻そう。

で、まぁそう考えたときに、結構「楽しむことをあきらめない」って自分の指針になってるなって思ったんです。

楽しくないと続かないし、なんだかんだ続けてることって、楽しく感じてることだと思うんですよ。

だから、この言葉、結構気に入ってたりするんです。

なので、配信することになったら何がしたい?の答えとしては、「意思を残したい!」そのための方法として「楽しむことをあきらめない」じゃないかなっと思ったわけです。

(渡すバトンは血だけでいいの?俺は良くない。意思のバトンを繋げたい)

じゃあ「楽しむことをあきらめない」って何よ?

ってことで、「楽しむことをあきらめない」とは?って話になってくるわけですね。

これも必死で考えました。(※就業中です)

で、こっからはあくまで私個人の考えなんで、こりかん全体の考えでないことはご留意くださいね?

個人的に、「楽しむことをあきらめない」ってのは3段階に分かれてると思ってます。

まず第一段階が、「自分が」楽しむことをあきらめないこと。

これは超分かりやすいですね。自分が楽しい!と思ったことをあきらめないこと。

いや、続けていくにつれ、色んなことが発生するんですよ。

例えば、私の場合シナリオですけど、「一本道でつまらん」「吟遊シナリオ」「作者の脳内当てゲー」「ハッピーエンドがないクソ」とかあったっけなぁ。

まあ、的を射ているのもあって、自分なりに直したりしてるんですけど、じゃあそれを真に受けて筆を折るのって、何か超もったいなくないですか?

いや、俺も最初めっちゃ傷ついたし、「そうだよな……」って反省もめっちゃした。でもさ、商業でやってるわけでもないし、そもそも「俺が好きだ!と思ったのを書いてるんじゃい!」って感じなので、周りの意見ってそこまで関係ないんじゃないかな?って。

どんなに周りからクソとか言われようが、自分が「よっしゃ出来た!」って思って出した作品って、それだけで凄い価値があると思うんですよ。
何かしらの感情・情念・執念を込めて書いたわけじゃないですか!
その感情は、はっきり言って自分以外に完璧に理解されることなんてないです。ただ、もしそれをちょっとでも理解してくれる人がいたら、凄くありがたくて奇跡的なことだと思うんです。

で、そんな自己満に過ぎないものを、それを、こう、「楽しい」とか「すごい」とか言ってくれるのなら、もうそれってホントあり得ないくらい凄いことで……。

普段はできるだけそんな素振りはしないようにしてますが、本当に嬉しいものなんですよ。特に私のように大した文才も才能もないような凡人にとってはなぁ!

だからまぁ、まずは「自分が」楽しむことをあきらめない、ってのが第一段階だと思ってます。

(いや、まずは俺が楽しいのが一番でしょ。世界って意外と楽しいに溢れてる。一個じゃなくてもいい。っていうか楽しいって思うことなんて、いっぱいあった方がいいに決まってる。)

じゃあ第二段階ってなんだ?ってところなんだけど、これは「相手と」楽しむことをあきらめないことだと思ってます。

ここで言う「相手」っていうのは、自分の身近にいる友人とかその辺の人のことね。

自分だったら、シナリオ書いた!じゃあこりかん相手に回そう!できるだけ楽しんでもらおう!そう思うこと、行動すること。それが、「相手と」楽しむことをあきらめないなのかなぁって。

どうしたら楽しんでくれるかなーって。我々凡人には、世界中どころか、日本中、あるいはもっと狭いコミュニティ内すら、全員満足させられるものなんて作れないと思ってるんですね。
けどさ、勝手知ったる友人くらいなら、「なんかこうしたら楽しく思ってくれるんじゃね!?」「こうしたら俺が思う面白ポイント伝わるんじゃね!?」って考えたり、行動したりすることって出来るんじゃないかなーって思うんですよ。

その、自分の周りという極めて狭いコミュニティ内で、楽しむことをあきらめない。それはできる……んじゃないかなって。

まぁ、できなくても、そう考えること、大事。分かる?

なので第二段階は、「相手と楽しむことをあきらめない」だと思ってます。

(まずは気の合う仲間と楽しもう。全然関係ないけど、好きな友人と飲む酒って格別旨いよね!)

さて、最終段階ですが、これはもう分かりますね?

「周囲を巻き込んで」楽しむことをあきらめない、です。

知らん人でも何でもいい。自分が「面白い!」「楽しい!」と思ったこと。周りも洗脳「楽しい!」「面白い!」と思わせたこと。
今度はそれを、表に出していって、共感してくれる人と一緒に楽しんでいくことです。

繰り返しになりますけど、はっきり言って好みの問題とかもありますし、万人にウケるのはまぁ無理です。

だってプロでも無理なんだよ?ピカソの絵だって「素晴らしい」って言われてるけど、私は本当に全く分からない(美的センス等皆無のため)だし、クラシック聴いても眠くなるだけだし……。

ピカソでも無理なのに、一山いくらの我々が、万人にウケるなんて、まぁ到底無理無理。

合う合わないはある。だからせめて、合う人に楽しめるような、クッソ面白くて楽しいのをやってやろうぜ!ってことです。

別にこれは創作作品とかだけじゃなくて、例えばこういうブログでも何かのイベント開催するとか、何かやってみるとか、何でもいいと思います。

最終的に、ちょっとでも多くの人に「面白いじゃん!」って思わせたら勝ちでしょ。

その多くの人の人生に、少しでも爪痕残せたら、もうそれでいうことは無いよね!

なので、第三段階――最終段階が、「周囲を巻き込んで楽しむことをあきらめない」だと思ってます。

ウンババウバッホラオラオハーの面白さを教えるぼく)

とはいえ注意事項

ただ、無理をしたり、無理をさせたりするのはあんまり推奨できないかなぁと。

それを強要してしまうようになると、楽しくなくなるからね。一番大事なのは、とにかく「これ楽しい!」→「これ楽しいよ!」→「これ楽しいから見て!一緒にやろ!」みたいになるのがベスト。ここで強要しちゃうと絶対楽しくなくなるから。

ここまで書いたけど、一番大事なのって、ぶっちゃけ「自分が」楽しいかどうかだと思ってて。

これピラミッド構造なのよね。自分が楽しいと思ってもないことを他人に進めるのって普通に嫌じゃない?俺は嫌だよ。楽しくねぇもん。楽しいことだったら「俺はこれ楽しいと思うからやってみ!」って出来るけど、その逆は無理。楽しくないことなんて1秒だってやりたくない。仕事とか。
だからこそ、根底に「自分が楽しい!」と思ってないと無理。むりむりむりむり。

なので、ぶっちゃけ人になんて勧めなくてもOK!自分が楽しい!面白い!それでいいじゃない!
ただまぁ幸いなことに、今はツイッターとか外部発信ツールがたくさんある。面白いことを続けたり、面白そうなことに飛び込んでみたり、グループ作ったりは比較的しやすい環境なんじゃないかなって思ってます。

エラソーなこと言ってるけど、酒飲みの戯言だと思って聞き流してくれ!でもあれだぞ、自分が楽しい!と思ったことは大切にな!やってりゃしんどいこともめっちゃ出てくるけど、っていうか死ぬほど出てくるけど、なんだかんだ楽しいは楽しいんだよな!ペラ紙クトゥルフやりてぇ~!
(※ペラ紙クトゥルフ:最初と最後くらいしか決めないで、ノリとテンションと即興でシナリオを作りながらやるクトゥルフ。馬鹿みたいに楽しい。)

おわりに

そんなわけで、楽しむことをあきらめないって文言の意味合いについて書きました!

人に迷惑をかけない範囲で、俺の楽しいに巻き込んでいこうぜ!

……こういう思考だからマイナーバンドがメジャーになると冷めたりするんだろうな……。

ではまた!「俺はこれが楽しいと思うぜ!」って殴っていこうぜ!

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